見返りを求めない事が美徳と思えない私
何かをしてあげても、見返りを求めてはいけない
なんて考え方があるけど
見返り求めちゃダメなの?!
無償の愛的な思考ですか?それ
世の中金なんだから、お返しして当たり前じゃないんですか?
そもそも見返りを求めてはいけない思考が浸透しすぎて
してもらった側も、お返ししなくてもいいよねってなってるよね
ズバリ言うけど知名度のない奴の「してあげよう」は無意味だからね
効果も無い!
された側も気を遣う!
何一ついい事ないっ!!
だから、言われた事しかやりません
好意で、した事に文句言われるのは、辛いという感情以外何も生まれませんからね
時間と金とその時の感情を返せー!笑
笑顔だとかそんなクソみたいな話はもういい【ウブマグ】
先日こんなイベントに行ってきました。
そこでの様子はこちらからご覧ください
ウブマグ特別対談企画!in福岡 「俺は寝たきりになるけれど…」トークライブ に行ってきた - 筋ジスまっとんの日常
なんかね、一言で言うなら辛かった。
誰も話しかけて来ない。
そもそもぶっ飛んだやつらをかき集めた団体ちゃうんか?と
オレ外してぶっ飛んだやつ集めたって敵わんぞ、そこら辺のしょーもない障害者じゃ。
何言うとるかわからんのに、トークライブすな!笑
あとスッゲェムカついたのが、トークライブの車椅子の方に司会の人がさ
「プロレス会場にこんなんいたらやばくね?!」
とかほざくわけですわ。
舐めとんのかと。
こちとら東京にも観に行くくらい当たり前にプロレス見てますけど
こんなんがいたらやばくない?!って、知らなすぎじゃないですか?現状を。
普通にいますけど?!
むしろあなたがいても何も驚きませんけど?
簡単にプロレスと絡むような発言、やめてもら
えます?
ムカつくんだわ。ポッと出が思い付きでやんのやめて
プロレスセンスあんの?
話はそこからや、障害者でもやるなら徹底せないかんのやぞ?
他にもね、PLSの彼
個人的な印象なんだけど彼は自分の意思が全くないよね。
どっちでもいいとか、金払って聞きにきてるこっちに対してどっちでもいいって言う手抜き返答はイベントやる資格ないって。
ほんとその名の通りクソイベントやったよ。
大事なことなのでここから大きく書きますね!
こういうイベントって結局人との繋がりが話とか言いますが、仕事をお互いにやるために利用し合える場な訳ですよ。
この人に乗っかれば自分も甘い蜜吸えるぞー!っていう汚い大人と子供と障害者の集まりでしたわ
いやほんとさ、自分もこんなイベントやるんで是非きてくださいよーで、仲良しこよししてりゃいいと思うよ!
気色悪い
またああいう場だと顕著に出るけど、違うと思ったやつへの排除の連携プレーはすごいよ。
ぶっちゃけ質問コーナーとかお前に興味ねえんだよ。
お前の病状でどうやったら人が釣れるかしか考えてねえから、もっとしっかり考えた方がいいよ。
お前は無価値なんや!
それでハッピーとか笑顔とか幸せとかほざくな。
中途障害やからもう少ししっかりしとると思ってたけど想像以上に、ひどかった。ポンコツやった。
そんな彼に伝えたいのは
笑顔じゃない
ハッピーじゃない
稼げ
滑舌を意識しろ
メディアにつかわれるのをやめろ
しぬぞ!!!
テレビに取り上げられる障害者は、かなりの確率で死ぬ
なぜなら死にかけばっかり取り上げるから。
この辺りって宗教の勧誘と一緒でさ、死にかけやと頭も回らんわけ
操作しやすいわけ
余生を楽しむといいと思う
でも、黙って楽しんでてくれ
稼げねえ、稼がねえ障害者は邪魔だ!
障害者に対して差別してるよね?
つい最近、なぜこんなにまっとんは卑屈なのか考える事があった。
結果としては
都合のいい差別を受けてたからなんじゃないか?というところに落ち着いた。
まず前提として、まっとんが障害者として見られていたら、という事を頭に入れて想像して欲しい。(実際障害者ではあるんだが笑
障害者としては自立の水準は、かなり高い方だと思う訳。
彼女もいる、生活も出来ている、収入もある、実家も出た、なに一つ不自由なくやりたいことができる環境を手に入れた。
全国レベルで見りゃそんな奴は沢山いるだろうが。
そこに至るまでにもたくさんの経験をしてきた。
絵を描いてきた。舞台をやった。講師経験もした。
いい事ばっかりじゃない。
人生の先輩に対して喧嘩もした、都合のいい使われ方もした。
そんな中、俺は気付いた。
同じ障害者がこんなレベルの事をしてきたら、周りはすごく褒めるんじゃないのか?と
しかし俺は、そんな事された記憶がない。
つまり、障害者として見られてなかったのか。と。
ただ疑問が浮かぶ。
本来障害者も平等に扱うべき!
障害者でも平等に扱うよ!
なんてぬかしてる奴らは、障害者に対してほぼほぼ平等になんか扱っていない、と。
ただ絵を描いただけ
ただ舞台をしただけ
全て「ただ〜しただけ」なのにも関わらず、他の奴らは褒められる。
俺も障害者なら、そう扱われてもおかしくなかったはず。
そう。そういう時だけは障害者としては見ない奴らが多かったんだろうな、と。
都合のいい時だけ、「非」障害者
でも、普段は障害者扱い。
こんな都合のいい扱われ方をしてしまったら、それは卑屈にならざるを得ない!!
と、ここまで書いておいてなんだが
今も、ほぼほぼ「まっとん」という存在が当たり前になっているのは、そんな経験があった上で
そんな簡単でつまらない土俵にいるのが嫌になった結果だと思っている。
今の環境で周りにいる人達は、「まっとん」という存在を理解してくれている人だと感じている。
なぜなら、平等に簡単に褒める事をしない人達だからだ。
人間として当たり前、社会人として当たり前(個人的にこの言葉は大嫌いだが)
そうした事をナチュラルに出来る人達だけが周りに残ってくれたと思っている。
つまり、障害者という世界では贔屓がすごい。
同じ事をしても評価なんてものは平等に受けられない。
結果を出しても報われないから、その世界から俺は出て行ったんだ、と結論に至った。
今、当時を振り返って言いたいのは
過小評価だったな、という事。
あの世界なら、もっともっと褒められる事があっても良かったと思う。
今思う事。
障害者の世界は、やはりぬるいという事。
すれば褒められる世界。
結果は関係無い。
つまり、大したこともしていない奴が褒められていたら、そいつは差別を受けているかわいそうな障害者だという事。
ちなみに私は、まだ社会人の世界では何一つ結果を出していない。