心を動かすのに必要なこと
障害者が何かやろうと思うと、健常者よりも大変な部分があります。
当たり前にできるであろう事が、障害者にとっては難しかったりします。
他にも色んな危険があります。健常者より死ぬリスクも高いです。(やりたい内容によりますが)
そういった方達が何かやろうとするにはたくさんの方の協力が必要です。
お願いして協力してくれる方もいれば、それでも協力してくれない方もいます。
それは、ごく当たり前の事で協力してくれない方達が「障害者だから協力してあげよう」という考えじゃないからだと思います。
むしろ、「障害者だからしてあげなきゃ!」なんて奴らは、クソくらえです。(私は)
何かをするにも人よりも手がかかる障害者は、人の心に響く、訴える何かを持たねば何も出来ないのです。
ある意味、健常者よりも頑張らなければいけないわけです。
ただ、本人の努力がどこまで伝わるか伝えられるかは、また別の話で。
努力をしているかいないかは他人の目線からでしかわかりません。
本人がいくら努力しているといっても、そう見えなければそれは努力していないことと同じことなのです。
反対に努力していなくても、周りが努力していると見てしまえば、それは努力しているという事になります。
不思議なんですよね。障害者って。
本人の意思はあんまり関係なく周りがどう見ているかで結果が出るんです。
ここまで書いて、自分が思うのは周りの環境に恵まれていれば、好きなだけ好き勝手出来る訳です。
障害者の特権なのかもしれません。
何か言われたら障害者という肩書きをふりかざせば大抵の人はねじ伏せられます。
しかし、その手が通用しない場合があります。
それは、まず本人が元気である場合。
元気な障害者は、なかなか健常者からすると障害者のイメージとかけ離れていて応援しづらいようです。また、感情移入もしづらいみたいですw
他には、障害者だからと特別扱いはしない!という正しい判断ができる方達。
そういう方には、障害者だぞ!!は通用しません。こういう方達が世の中少ないんですけどね…
まー、人の心を動かすのって簡単じゃないって事なんです。
障害者という肩書きをうまく使っても、感動を誘うのは難しいのです。
というか、難しくなきゃいけないんです。
障害者にとって甘い世界は、なにも生まれないし、本人にもよくないんです。
ほんとぬるいです。
恐らくですけど、同じ様に苦労されてる方達はたくさんいます。
健常者でも生きにくい方達がいます。
障害者だからとかじゃなく、色んな方が生きやすい世の中になればいい話だと思います。
自分ももっとボロクソに言えるくらい頑張らないといけないなと思いました。