いつまで親元で生活してるの?

まっとんが思う事を書き殴るよ。

障害者に対して差別してるよね?

つい最近、なぜこんなにまっとんは卑屈なのか考える事があった。

 

 

結果としては

都合のいい差別を受けてたからなんじゃないか?というところに落ち着いた。

 

 

まず前提として、まっとんが障害者として見られていたら、という事を頭に入れて想像して欲しい。(実際障害者ではあるんだが笑

 

 

障害者としては自立の水準は、かなり高い方だと思う訳。

彼女もいる、生活も出来ている、収入もある、実家も出た、なに一つ不自由なくやりたいことができる環境を手に入れた。

 

全国レベルで見りゃそんな奴は沢山いるだろうが。

 

 

そこに至るまでにもたくさんの経験をしてきた。

絵を描いてきた。舞台をやった。講師経験もした。

 

いい事ばっかりじゃない。

人生の先輩に対して喧嘩もした、都合のいい使われ方もした。

 

そんな中、俺は気付いた。

 

同じ障害者がこんなレベルの事をしてきたら、周りはすごく褒めるんじゃないのか?と

しかし俺は、そんな事された記憶がない。

 

つまり、障害者として見られてなかったのか。と。

 

ただ疑問が浮かぶ。

 

本来障害者も平等に扱うべき!

障害者でも平等に扱うよ!

なんてぬかしてる奴らは、障害者に対してほぼほぼ平等になんか扱っていない、と。

 

ただ絵を描いただけ

 

ただ舞台をしただけ

 

全て「ただ〜しただけ」なのにも関わらず、他の奴らは褒められる。

 

俺も障害者なら、そう扱われてもおかしくなかったはず。

 

 

 

そう。そういう時だけは障害者としては見ない奴らが多かったんだろうな、と。

 

都合のいい時だけ、「非」障害者

 

でも、普段は障害者扱い。

 

 

こんな都合のいい扱われ方をしてしまったら、それは卑屈にならざるを得ない!!

 

と、ここまで書いておいてなんだが

今も、ほぼほぼ「まっとん」という存在が当たり前になっているのは、そんな経験があった上で

そんな簡単でつまらない土俵にいるのが嫌になった結果だと思っている。

 

今の環境で周りにいる人達は、「まっとん」という存在を理解してくれている人だと感じている。

 

なぜなら、平等に簡単に褒める事をしない人達だからだ。

人間として当たり前、社会人として当たり前(個人的にこの言葉は大嫌いだが)

そうした事をナチュラルに出来る人達だけが周りに残ってくれたと思っている。

 

 

 

つまり、障害者という世界では贔屓がすごい。

同じ事をしても評価なんてものは平等に受けられない。

結果を出しても報われないから、その世界から俺は出て行ったんだ、と結論に至った。

 

今、当時を振り返って言いたいのは

 

過小評価だったな、という事。

あの世界なら、もっともっと褒められる事があっても良かったと思う。

 

今思う事。

障害者の世界は、やはりぬるいという事。

すれば褒められる世界。

結果は関係無い。

つまり、大したこともしていない奴が褒められていたら、そいつは差別を受けているかわいそうな障害者だという事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに私は、まだ社会人の世界では何一つ結果を出していない。

 

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